パリ警視庁

パリは首都であるとともに、また1,200万人の人口を抱える、特に密集し危険にさらされた大都市圏の中心です。そのためパリ警視庁は犯罪、公衆の秩序の混乱、自然災害またはテクノロジー関連の災害、衛生面のリスク、テロなど多種多様なリスクの予知及び対策に努めなければなりません。

またその他の業務としては、行政証書の交付、公共空間及び交通の管理が挙げられます。

専門的な高度な業務として、法医学研究所や精神医療に関する診療所・研究センターなどで行なうものがあります。その他、あまり知られていない分野、例えば遺失物の返還や、獣医業務、緊急電話番号の《17》による救援、パリ消防隊、水上警察、ホームレスの援助などもあります。

これらの任務を果たすために制服及び私服警官、事務員、技術職員、科学的アプローチを担当する職員、消防士は総勢34,000人を数え、公務に24時間体制で力を結集させています。

ここでは組織、職域、職務、予算をはじめ保有する資源など、様々な角度から、パリ警視庁をご紹介します。特に男女問わずすべての職員が日々パリの住民の生活の質の向上に貢献していることをご理解いただけると思います。

数字で示すパリ警察庁

  • パリ警察庁は総額24億8,900万ユーロの予算を有し、その内訳は以下の通りです。
  • 約34,000人の職員の内訳は以下の通りです。


情報管理司令室: 大画面上のパリ

「公共の秩序」情報管理司令室

パリ警視庁は現場での警察官の活動を指揮するため、それぞれの任務専門の情報管理司令室をネットワーク化しています。その内訳は、公共の秩序、交通、治安、公共交通の安全、イル・ド・フランス州全体の調整、警察緊急電話《17》の管理です。

それぞれの情報管理司令室は、ビデオ、ラジオ、情報機器、電話機器を適宜配備し、パリで何が起きているかをリアルタイムで映し出し、現場の警察活動に必要な指示を与えることができます。

デモや賓客の公式訪問は、「公共の秩序」司令室の監視対象となり、首都に張り巡らされた何百台ものカメラから管理画面上に生で映像が送られます。「1000台のカメラ」設置計画によってこの措置をより拡大させる予定です。

2番目の、交通担当の司令室ではパリの主要道路、及びイル・ド・フランス州の幹線一般道路と高速道路の交通状況を視覚で捉え、コントロールしています。司令室は環状道路の検問所と連結しており、この幹線道路への介入を調整します。また、イル・ド・フランス州における道路交通の情報を一元管理しているクレテイユの州道路情報調整センターと連携しています。

「交通」情報管理司令室

交通部門における犯罪対策は近隣都市警察部門に属する第3番目の操作室で行ないます。ここは警察緊急電話《17》と州の交通警察部門の司令室との両者と連携しています。州の交通警察部門司令室では、パリ交通公団(RATP)とSNCF(フランス国鉄)のネットワークに設置された数千台のカメラが撮影した映像全てを集約しています。このパリ警視庁交通司令室ではさらに、武器や車を用いた強盗事件などで犯罪者が逃走した際に、イル・ド・フランス州全体の交通遮断措置を行ないます。

近隣都市警察の情報管理司令室

パリの警察の歴史

パリ警視庁の特殊性、その任務の多様性を理解するには歴史をひも解いてその起源に遡ることが必要です。

アンシャン・レジーム

 

1667年にルイ14世がパリ警察総司令官という職を創設しました。王から与えられた任務は「清潔、明るさ、安全」という3つの言葉で表されました。

 

初代のパリ警察総司令官である、Gabriel Nicolas de La Reynie (ガブリエル・ニコラ・ド=ラ・レニー)はパリの街に平静と一定の安全をもたらしました。彼の後継者たちの時代には、警察総司令官の介入領域は増加していきました。これは交通の問題など、パリの市民生活の変化に適応したものです。

 

 

Dubois(デュボワ)伯爵、Louis Nicolas Pierre Josephルイ=ニコラ・ピエール=ジョゼフ1758420日にリールで生まれ、初代のパリ警視総監となり、パリで18471225日に没しました。

革命の時代

1789年7月13日の革命前夜、パリを支配する熱狂を見て、有志によりブルジョワ警備隊が自然発生的に結成され、指揮官に選ばれたLafayette(ラファイエット)が国民軍と名付けました。警察業務はこの段階ではパリ市に任務が委ねられました。

続いて、街の1セクションごとに1人の割合での48人の警視の配備、また警部職の創設など、パリの警察に一連の再編が行なわれました。

1800年以降今日まで

ボナパルトはパリにパリ警視総監の職を置きました。これは革命期終盤に警察業務が不安定になっていたことに終止符を打つためでした。フランス革命暦8年収穫月12日(1800年7月1日)付けアレテ(命令)によりパリ警視総監の権限は明示されており、今なお効力を有します。